焼きしゃぶ、知らんけど。
何年か前にメモ帳に残していた下書き。
焼きしゃぶ、というものを始めて食べた。
前日、無性に食欲が湧かなくて、でもしゃぶしゃぶはいけそうな口ってご飯仲間な友人に言ったら、思い立ったが吉日、しゃぶしゃぶを食べに行こうという話になった。
鉄板で一瞬で焼ける早さにびっくりしながらも、ひたひたにしてつけるしゃぶしゃぶとの違いに感動する。滋賀県のバームクーヘン豚というのが大変美味しかった。バームクーヘン食べて育つってすごいな。
その人は私がご飯を食べているのをみるのが好きらしい。餌付け? そういえば、何年か前にも美味しい海鮮丼を食べに連れられ、美味しさのあまり涙目になるという人生初の体験をしたことがあった。あれも餌付けというやつかもしれない。
その人とはかれこれもう7年ぐらいの付き合いになる友人だけど、最近になって、身内や人とご飯を一緒に食べるのがあまり得意ではないということを知った。なのにご飯仲間、良いのか。
私とは逆だ。いや、確かに、クチャラーな兄と食べるのは得意ではないけれど、昔は門限に煩わしさを感じながらも、家族で食べるご飯というものに幸福を感じていた気もする。(これは今になってみれば?かもしれない。)
父の部屋には床に座って使うタイプの大きな四角いテーブルがある。そこで昔はテーブルを囲んで家族でご飯を食べていた。
父が入院して帰ってきてからは、それは父だけが使うテーブルになった。母と兄はそれぞれ時間をずらして折りたたみタイプの小さなテーブルで食べている。
かくいう私は、自分の机で黙々と食べる。
家で一人ご飯を食べるようになってから、外で人とご飯を食べることが美味しいと、うれしいと感じることが増えた。美味しいを誰かと共有したいんだと思う。
家で食べるご飯美味しかったはずなのに、外食の方が美味しいかもと思ってしまう舌になりつつある。ジャンクフードも美味しい。
お会計のとき、割り勘しようとしたら 魔法のカードでタダだったよ?と言われて、それは素敵な話だけど〜 違う違うそうじゃない!と鈴木雅之が脳内で歌い出す。カード払いは、店員さんの〜円ですという台詞がないことが多いから困る。
会話の合間合間に、「で、いくらだった?」と聞いたら「身長?175cmぐらいがいいかなぁ」とかわされたり、「ほっぺついてるよ?」ほっぺはついとる!「美味しすぎて落としてきたかと思って」上手いこと言う!
こう、珍しくツッコミに回りたくなる立ち回りになった。最終的にちょっとしか受け取ってもらえなかった。参りました...ありがとうございます。深々。
あと、会話の中で、関西人の語尾につける「知らんけど。」っていう言葉の万能性について話をした。
「あんた〜あれらしいで、お隣の佐々木さん、今週末グアム行くらしいわー知らんけど」が例文としてめちゃわかり易い。
「知らんけど。」って突然、突き放す感じというか、自分の言葉に無責任になれるすごいワードだ。しばらく口癖になりそう、知らんけど。
その人は最寄りまで送ってくれて、何か言いたそうな顔をしていたけど、私はそれに気付かないフリをした。普通に気のせいだったかもしれない。ずるいやつだな、知らんけど。