どこか食べに来てください
タイトルは連続タッチで現れたワード。
どこを食べに来られるのか、どこを食べられるのか。はたしてそれは美味しいのか。
だんだん、「どこか食べに」ではなく「どうか食べに」の誤字で、もしかして、これはお願いをしているのではないか?と、どうでもいいことを考え始めてしまう。
ご飯をちゃんと食べないと頭は全く回らない。お腹はぐるぐるとなる。夏バテ気味から早く持ちなおそう。睡眠もしっかりとる。
口頭で伝える力と文字にして伝える力どちらも身につけたいなぁと、
ここで考えを文字にする練習をしていたけれど 最近、思考のアウトプットが全然出来ていなかった。忙しいと思考が止まりがち、それはあまりよくない。
影響を受けやすい。
そもそも今の私は、今までに出会ったいろんなものや人からの影響を受けて生きている。
それって自分がなくないか?とも思うけれど、影響を甘んじて受け入れているのは自分自身なので、自分がない訳ではない、のか?
影響を受けて自分が変容していくのがおもしろいとも思う。
良い影響も悪い影響もどちらも受けてしまう。本当は悪い影響は受けないでいたい。
ただ、どれが悪くてどれが良いのか、把握出来ていないところがある。それはたぶん、今の自分のことが分かっていないと判断出来ない。
ある程度の客観性と冷静さを常に持たないと、自分の気持ちも他人の気持ちも分からない。学び。
最近考えてたこと。
古着って、違和感なく買ったりするけれど、自分が着る前にこの服を着ていた人がまだ生きているのか、もう生きていないのか分からないから
私は今、誰かの遺品を着ている可能性もあるんだなぁと思うと不思議な気持ちになった。
ある意味、人の行動が染み付いた生き霊のような。
もう生きていなかったとしたら、残された服が現在も別の人と生活を共にしていて、彷徨っているようにも考えられるし
今、私の手元にある古着を前に着ていた人がまだ生きていたとしても、その人の過去と私は今を過ごしている感覚になる。なり代わりとはまた違うんだけど、服は捨てられない限りこの世を彷徨うのかもしれない。
物に魂が宿るとか言ったりするのってこういうことなのかなとか思ったりした。
仕事でプチホテル暮らしを経験出来た。
自分の時間で、誰にも遠慮せずに生活が出来るって快適。ただし、時間の使い方が悪いと結局自分のペースで生活できたとしてもいろいろともたつく。そこがもどかしくなり疲れたりもする。
私の場合、チェックリスト形式でやるべきことを潰していくのが一番、動きやすい気がする。
思い立ったときに、リストアップして、そこから優先順位に並べつつ、一人で黙々とリストをつぶす時間をつくる。
やる気を出すために、まずは本当に手軽なものを達成して、そこから優先度の高いものを終わらせるこの流れがやりやすいかも。覚え書き。
最近のよかったこと
スーパーで大根の上の方だけが欲しくて、でも売ってあるのは下部分がラスト一本だけ。
どうしようか悩んでいたら、売り場のおばちゃんが「今ちょうど切ってる所だから上の方も持ってきましょうか?」と聞いてくれて、無事、大根の上部だけが買えて嬉しかった一日。
一人で時間に追われず湯船に浸かることが出来た。お湯に浸かると疲れが取れる。
アルトゥンギュン!って声に出したいアーティスト名を知った。是非聴いてみたい、アルトゥンギュン!