肉まんのにくと矛盾する思考

f:id:marukam:20181219023349j:plain 仕事終わりに外に出たら
真っ暗でひたすら寒かった今日。
甘いもの...?
いや、あったかいものだと
数年ぶりにコンビニの肉まんを買ってみた。
肉まんの肉ってずっと豚肉だと思っていたら肉まんの横に豚まんが置いてあって そうか、これ牛?なのかなぁと不思議に思いながら買った。そういえば551は豚まんだったな。
家で551の豚まんを食べるとき、私はいつもポン酢につけて食べる派なので
なにもついてないと味気ないかと
店員さんの「からしつけますか?」を断らずにからしをつけてもらった。
普段からしを付けないと、加減が分からなくて、てっぺんの方にからしを全部出して一口食べたら一口めのほとんどがからしで あまりのからさに涙目になった。それから口の端がとてもヒリヒリしています。
やっぱりコンビニ肉まん、豚肉っぽいよなぁ...っていう印象はもう辛さにどこかへ追いやられてしまった。
温まるというよりは、からっ!まるみたいな感覚。
からくなる、の あったまる的な響きの言葉ってないのかなぁ。からいけど良いみたいな。

聞いて聞いてと言ったら、ありがたいことに自分の周りには話を聞いてくれる人がたぶんたくさんいて、でも自分から聞いて聞いてと投げて、そこから相手のリアクションを拾いまた投げてをするまでの気力が湧かない時や
いろんな物事を考えすぎてしまって、頭の中がぐるぐるなとき、こういうところでパッと自分の外に出してしまうと少し楽になる気がする。

私の三大欲求は誰かとそれを共有することで幸福を感じるのかもしれないなと思った。
両親も兄もおばあちゃんも私も
みんな生きているのに、昔みたいに食卓を囲むことはもうないんだなぁと
家の廊下に置いてあるファンヒーターの前で
1人ご飯を食べながらそんなことを考えてしまった。
今まで家族のことを他人と思ったことはなかったのに、ここ数年で酷く他人事のように思うのは一緒の場所に住んでいるのに
一緒のテーブルでご飯を食べることがなくなってしまったからなのかもしれない。

物理的に距離が近い方が、精神的にも近くなりやすいかもしれないけど
同じ空間に住んでいるからこそ、共有するものごとが疎かになってくると精神的な距離が遠くなりやすいのかもとか。きっと逆もまた然り。

炎上したり、干された人たちのことを考える。
炎上商法だって言われていたアーティストの歌は自分の好みに合っているからやっぱり好きな曲は好きだなぁと思う。
こういうのって、芸能とかで多いけれど身近な人間関係でもあるような... 〜しないと思っていたら、〜をする人だったのね とか
自分の中で持っていた相手に対するイメージのギャップ。それが良いと思うこともあれば自分の好みには合わないなと感じることももちろんあって
ギャップってつまりはその人に対して抱いていた印象の矛盾にも近いような。

1つも矛盾が生じない人って確固とした自分を持っているのかな かっこよくていいなぁってなるし
矛盾をたくさん持っている人は ギャップ!っと感じることが多々あってそれはそれで新鮮味があっていいなぁと思う。

そんなこと知りたくなかったという人も多い中で芸能ゴシップとかがなくならないのは、やっぱり自分のことよりも他人のことに強い関心を持つ人たちが多いからなのかな。
それとも、テレビで見ていた人たちだって、自分たちの環境でも起こり得ることをするんだと実感出来てわくわくするからなのかなぁ。

最近は、いろんな答えがあることを考えすぎてしまっていて思考回路はショート寸前気味頭の中で左のお皿に置いてある豆粒をひたすらお箸で摘んで、右のお皿に置いているような感覚。高速豆粒箸移動。箸休めしたい。美味しく食べたい。
そういえば、箸休めって、誰が誰に休めって言っているんだろう。って考えてから
こういう思考になってるから、考えすぎちゃってるんじゃないかという答えに至る。
ぐるぐるしてても、優しい言葉を人にも自分にも使える人になりたいなぁ

最近の良かったこと

来年のスケジュール帳をやっと買えた。(決めれた)
スマホのアイコンの整理が出来た。
毛布がふかふかで好き。
冬の快晴を見た。

写真は少し前に見た野生の鳥。
白くてきれいでした。