ここいちばんと、人見知りインターネット
CoCo壱のチキンカツカレーを無性に食べたくなる時があるんですが
毎回お腹が空いた状態で向かうものだから、ポテトを付けてしまって(CoCo壱のフライドポテトは美味しい)
普通盛りでもちょっと多かったかもしれない...と苦しくなりながら完食している気がする。ポテトは誰かと一緒にシェアしながらの方が良いのかもしれない。
あと、甘口を頼めば、普通口?にすればよかったなぁと思うし
普通口にすれば甘口にすればよかったなぁと思ってしまう。人間は選択しなかった方にすればよかったと考えてしまいがちなんだったけか。
昨日食べたのは甘口。
テーブルに置いてあった『とび辛』と書いてある粉を振りかけてみたら丁度良い感じになって感動した。お粉って、すごい。
次から、甘口にこれを使っていこうと思う。覚え書き。
人見知りだけど、道聞かれたり、電車これであってるか尋ねられるの
びっくりして一瞬萎縮しちゃうけど、怖い顔になってないんだなってちょっと安心もする
あと知らない人と、些細な出来事でちょっとコミュニケーション取れたことが嬉しく思えたりもする。
なんでもかんでも信じすぎちゃダメだとは分かっているけどれど、変化が好きなので いろんなコミュニティで人と会話したいのだと思う。
だからなんとなく行った場所で知り合いづてに人を紹介してもらえたり、友だちが出来るととっても嬉しい。自分にとって馴染みのない場所に存在を認知されたような安心感がある。セルフポートレイトを続けているのは、自分の存在がどこか、自分の中で確立されていない感覚があって不安だからなのかなと考える。
でもいざ、知らない人しかいないところにいくとなかなか人見知りと自分の中の好奇心のスイッチが切り替わらなくて
帰り道に、もっと〜すればよかったなぁとか一人反省会を開いていることも多い。
エンジンかかりまくってる時はほんと一人でどこへでも行けるのにな。ここでもこうすればよかったという思考になりがちだから、切り替えもっと上手になろう。
私の昔のSNSの使い方がまさに、好奇心のスイッチがずっとオンにされている状態だったかもしれない。顔も合わせたことのない人と、同じような話題を目にしながらさりげなく会話する。みたいな インターネットの繋がりだけだったのが今では実際に面識のある人たちのタイムラインで埋め尽くされていて
好奇心の湧くものというよりは知人の情報が主に入ってくるものになってしまった。
知人の活動がすぐ目に入ることは元気であることが知れて、それは別に悪いことではないのだけれど、知りたいと思ったときにそれは調べたり 本人に連絡を直接取るもののような気もしたりして。
ただ穏やかに見知らぬ人々が生活しているのをインターネット上で見て、安心する環境ではもうないのかもしれない。